僕にとって、25歳という歳はとても大きな変化がある歳だ。と予想している。
20歳の頃、ある人と約束を交わした。
それが全てではないけど今の自分を作るきっかけでもある。
ちょうど五年前の秋ごろ、夜は少し肌寒かったな。
「5年後にまた会おう、5年後の俺は独立して経済力も
精神力も大きくなってるから。みとけよ」
大きなことをゆうよ。自分だけど。
専門学生の先生に最近、お前は昔から大きいことゆうてたで
先「この作品君が作ったの?すごいやん」
自「当たり前です。誰が作ったと思ってるんですか?」
今聞くと本当に恥ずかしいというか、失礼な話。
でもそんな自分を覚えている先生に僕はうれしく思う。
そんなこと言ってたのは忘れていたけど、
5年前のことは今でも鮮明に記憶に刻み込まれている。
自分が言った約束の言葉。
男たるもの言ったことはやれ。みたいな。
毎年忘れることなく常に心にあり、それを実行するために
たくさんのチャレンジをしてきた(まだまだ足りないけど)
20歳の頃、自分の無力さに悔しくて、本当に心の底から
悔しくて、でもどうすることもできなかった。
たとえ年上の30代だろうが40代であろうが負けたくない、
仕事で成功して独立してごぼう抜きにしてやるって心底思った。
でもその時に
自分のもろさ、よわさ、その時全てを受け止めた。
想像の範囲、自分が逆算できる最短範囲で5年必要だと感じた。
5年というのは長いようで短い。でも多くの出会いとチャンスに
恵まれた。本当に幸せに思う。
その約束を忘れたいと思ったこともある。
今年に入ってその約束を忘れればどれだけ楽か、と思った。
でもそう簡単に忘れることはできないし、実行している自分もいた。
22歳の時、その約束は完全に不可能になった。再び会うことはない。
ただ、自分で決めた自己成長だけは諦めたくなかったし逃げたくなかった。
というより小さな可能性も信じていたように思う。
ほとんど無理矢理独立という形をとって、今は自分の足りなさを痛感できる
この環境は素晴らしいし、まだまだ追い込んでいかなければいけないと
思える。だから良いと思える。
忘れずして今、その約束の時期を迎えようとしている。
約束を果たせるかどうかは分からない。
でもこの5年間があったからこそ、次の5年間を計画し想像する力を
もらっているように思う。
変化球を投げているつもりで、直球しか投げられず、
遠くを見渡しているようで、目の前しか見えていない。
自分は単純というか簡単すぎ。もうこれは仕方ない。
約束が果たせないということは、自分の力が足りなかったということだな。
30歳には英語ペラペラで、月一海外出張でバリバリやってろよ、自分。
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