全身全霊とは、体力と精神力の全て。という意味
先週、そして昨日まで体力と精神力を使った。まだまだ全てではないとは思うけれど、
この言葉を使いたい。
全身全霊つかうと熱意が生まれる。プレゼンテーションに必要な要素はたくさんあるけれど、
熱意って伝わる。それはプレゼンに限らず、面接や会議、何でもそう。
伝えたいことを伝える熱。
やり切ってこれでダメだったら、仕方がない。というとこまでやる。
ココが良くてココが良くない。
自分が作ったプランに対し、よくない部分もちゃんと見ないといけない。
なんでもメリットとデメリットはセットになっているもの。
デメリットも含め、全てをみてコレ!っというものを作る。
まぁなんにせよ、どんな手段にせよ、勝てたことに意味がある。
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2011年9月22日木曜日
2011年9月16日金曜日
できないということ
今週はあっという間に過ぎていった。
月曜から木曜日までに、睡眠時間は3時間。
デザインや企画の世界では当たり前だということだけれど、
さすがにこたえました。
どんだけ寝ずにやったって、できないんです。
できないということを自覚することがどれほど大事かということ。
できることばかりやっていると、それに対しての引き出しができ、
こうきたらこう返す、というものが見につく。
でも、それはクリエイティブではない。
できないことを、なぜできないかを考え、その事についての
必然性を解いていく。
これはかなり難しく、厳しい。
「企画」という世界の厳しさを知った。まだまだつま先程度です。
どれだけ寝ずに一生懸命やって、どれだけ綺麗にデザインしようとも
打ち合わせで「ははは、全然面白くないね!期限は明後日までだから
今日は死んでもらうね」っと普通に言われます。
プロの世界というものを痛感。今までの自分のプロ意識の低さも痛感。
なによりできないということを痛感。
プレッシャーと自分を責める気持ちが、たとえ1日徹夜していたところで
頭は興奮状態で眠れず、食事も3日ほとんどとれなかった。
精神を追い込みすぎたけれど、これが当たり前だよっという言葉を頂いた。
1徹なんて当たり前、2徹3徹で、それが半年続いたりする。
体か精神のどちらかが崩れて、この世界から去っていくのを
たくさんみてきている。と先輩いわれる。
でもそれを乗り越えなければ、「企画」という厳しい世界には入れない。
今まで見てきた企画書や、文字ばかりの企画書とは違う。
僕は先輩の企画書を見て、おもしろいと感じ、感動した。
難しい事が苦手な僕にも、一目で素晴らしさを感じる。
乗り越えたい。これは見て盗んでとか、教えてもらうとか、
そういうことではない、だから厳しい。
自分がまだまだ底辺にいることを理解した。
「できないことをやるスキルを身につけなければいけない」
90%以上の人ができることをやり続ける。
できないことを、なぜできないか考え、どうすればクリアできるかを考える。
そういうことを繰り返すことで、身に付くものがある。
そうすれば引き出しを持つ必要性がなくなる。
その時のその状況に応じたものを生み出す力。
それこそクリエイティブ。
ちょっと気が遠くなりましたが、継続するしかない。
やるしかない。というしかない。
厳し~!!
必然性がそこにあれば、人はおのずとうなづく。
僕はその「必然性」というものみつけていきたい。
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月曜から木曜日までに、睡眠時間は3時間。
デザインや企画の世界では当たり前だということだけれど、
さすがにこたえました。
どんだけ寝ずにやったって、できないんです。
できないということを自覚することがどれほど大事かということ。
できることばかりやっていると、それに対しての引き出しができ、
こうきたらこう返す、というものが見につく。
でも、それはクリエイティブではない。
できないことを、なぜできないかを考え、その事についての
必然性を解いていく。
これはかなり難しく、厳しい。
「企画」という世界の厳しさを知った。まだまだつま先程度です。
どれだけ寝ずに一生懸命やって、どれだけ綺麗にデザインしようとも
打ち合わせで「ははは、全然面白くないね!期限は明後日までだから
今日は死んでもらうね」っと普通に言われます。
プロの世界というものを痛感。今までの自分のプロ意識の低さも痛感。
なによりできないということを痛感。
プレッシャーと自分を責める気持ちが、たとえ1日徹夜していたところで
頭は興奮状態で眠れず、食事も3日ほとんどとれなかった。
精神を追い込みすぎたけれど、これが当たり前だよっという言葉を頂いた。
1徹なんて当たり前、2徹3徹で、それが半年続いたりする。
体か精神のどちらかが崩れて、この世界から去っていくのを
たくさんみてきている。と先輩いわれる。
でもそれを乗り越えなければ、「企画」という厳しい世界には入れない。
今まで見てきた企画書や、文字ばかりの企画書とは違う。
僕は先輩の企画書を見て、おもしろいと感じ、感動した。
難しい事が苦手な僕にも、一目で素晴らしさを感じる。
乗り越えたい。これは見て盗んでとか、教えてもらうとか、
そういうことではない、だから厳しい。
自分がまだまだ底辺にいることを理解した。
「できないことをやるスキルを身につけなければいけない」
90%以上の人ができることをやり続ける。
できないことを、なぜできないか考え、どうすればクリアできるかを考える。
そういうことを繰り返すことで、身に付くものがある。
そうすれば引き出しを持つ必要性がなくなる。
その時のその状況に応じたものを生み出す力。
それこそクリエイティブ。
ちょっと気が遠くなりましたが、継続するしかない。
やるしかない。というしかない。
厳し~!!
必然性がそこにあれば、人はおのずとうなづく。
僕はその「必然性」というものみつけていきたい。
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2011年9月12日月曜日
5年
僕にとって、25歳という歳はとても大きな変化がある歳だ。と予想している。
20歳の頃、ある人と約束を交わした。
それが全てではないけど今の自分を作るきっかけでもある。
ちょうど五年前の秋ごろ、夜は少し肌寒かったな。
「5年後にまた会おう、5年後の俺は独立して経済力も
精神力も大きくなってるから。みとけよ」
大きなことをゆうよ。自分だけど。
専門学生の先生に最近、お前は昔から大きいことゆうてたで
先「この作品君が作ったの?すごいやん」
自「当たり前です。誰が作ったと思ってるんですか?」
今聞くと本当に恥ずかしいというか、失礼な話。
でもそんな自分を覚えている先生に僕はうれしく思う。
そんなこと言ってたのは忘れていたけど、
5年前のことは今でも鮮明に記憶に刻み込まれている。
自分が言った約束の言葉。
男たるもの言ったことはやれ。みたいな。
毎年忘れることなく常に心にあり、それを実行するために
たくさんのチャレンジをしてきた(まだまだ足りないけど)
20歳の頃、自分の無力さに悔しくて、本当に心の底から
悔しくて、でもどうすることもできなかった。
たとえ年上の30代だろうが40代であろうが負けたくない、
仕事で成功して独立してごぼう抜きにしてやるって心底思った。
でもその時に
自分のもろさ、よわさ、その時全てを受け止めた。
想像の範囲、自分が逆算できる最短範囲で5年必要だと感じた。
5年というのは長いようで短い。でも多くの出会いとチャンスに
恵まれた。本当に幸せに思う。
その約束を忘れたいと思ったこともある。
今年に入ってその約束を忘れればどれだけ楽か、と思った。
でもそう簡単に忘れることはできないし、実行している自分もいた。
22歳の時、その約束は完全に不可能になった。再び会うことはない。
ただ、自分で決めた自己成長だけは諦めたくなかったし逃げたくなかった。
というより小さな可能性も信じていたように思う。
ほとんど無理矢理独立という形をとって、今は自分の足りなさを痛感できる
この環境は素晴らしいし、まだまだ追い込んでいかなければいけないと
思える。だから良いと思える。
忘れずして今、その約束の時期を迎えようとしている。
約束を果たせるかどうかは分からない。
でもこの5年間があったからこそ、次の5年間を計画し想像する力を
もらっているように思う。
変化球を投げているつもりで、直球しか投げられず、
遠くを見渡しているようで、目の前しか見えていない。
自分は単純というか簡単すぎ。もうこれは仕方ない。
約束が果たせないということは、自分の力が足りなかったということだな。
30歳には英語ペラペラで、月一海外出張でバリバリやってろよ、自分。
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20歳の頃、ある人と約束を交わした。
それが全てではないけど今の自分を作るきっかけでもある。
ちょうど五年前の秋ごろ、夜は少し肌寒かったな。
「5年後にまた会おう、5年後の俺は独立して経済力も
精神力も大きくなってるから。みとけよ」
大きなことをゆうよ。自分だけど。
専門学生の先生に最近、お前は昔から大きいことゆうてたで
先「この作品君が作ったの?すごいやん」
自「当たり前です。誰が作ったと思ってるんですか?」
今聞くと本当に恥ずかしいというか、失礼な話。
でもそんな自分を覚えている先生に僕はうれしく思う。
そんなこと言ってたのは忘れていたけど、
5年前のことは今でも鮮明に記憶に刻み込まれている。
自分が言った約束の言葉。
男たるもの言ったことはやれ。みたいな。
毎年忘れることなく常に心にあり、それを実行するために
たくさんのチャレンジをしてきた(まだまだ足りないけど)
20歳の頃、自分の無力さに悔しくて、本当に心の底から
悔しくて、でもどうすることもできなかった。
たとえ年上の30代だろうが40代であろうが負けたくない、
仕事で成功して独立してごぼう抜きにしてやるって心底思った。
でもその時に
自分のもろさ、よわさ、その時全てを受け止めた。
想像の範囲、自分が逆算できる最短範囲で5年必要だと感じた。
5年というのは長いようで短い。でも多くの出会いとチャンスに
恵まれた。本当に幸せに思う。
その約束を忘れたいと思ったこともある。
今年に入ってその約束を忘れればどれだけ楽か、と思った。
でもそう簡単に忘れることはできないし、実行している自分もいた。
22歳の時、その約束は完全に不可能になった。再び会うことはない。
ただ、自分で決めた自己成長だけは諦めたくなかったし逃げたくなかった。
というより小さな可能性も信じていたように思う。
ほとんど無理矢理独立という形をとって、今は自分の足りなさを痛感できる
この環境は素晴らしいし、まだまだ追い込んでいかなければいけないと
思える。だから良いと思える。
忘れずして今、その約束の時期を迎えようとしている。
約束を果たせるかどうかは分からない。
でもこの5年間があったからこそ、次の5年間を計画し想像する力を
もらっているように思う。
変化球を投げているつもりで、直球しか投げられず、
遠くを見渡しているようで、目の前しか見えていない。
自分は単純というか簡単すぎ。もうこれは仕方ない。
約束が果たせないということは、自分の力が足りなかったということだな。
30歳には英語ペラペラで、月一海外出張でバリバリやってろよ、自分。
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2011年9月5日月曜日
輝くくすみ
18歳から25歳で、それぞれの枝分かれしていった道が
なんとなく分かってくる。
輝きゆくもの、くすみゆくもの。
輝いてもくす んでも、全てに良さがある。
輝きは才能の開花、くすみは「味・ら しさ」がある。
どちらも否定しない。
どちらもほしい。
僕はまだどちらもない。
そういったことを気づける意味でも、やっぱり
仲間は大切です。
決めごと・ケジメ・覚悟
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgQnK7j2aaDU9fFDDpmaK4U3SMSbnj5GT-pMX8LMWxeRcj16JozpCGUajdtQBrZSZt2WX7Mc91_VZPBDmJy1Yt_9hgL5PpHTs3IMZkstxko84sKZ66cOChUUkXDRWvgV_WdwJPK8umSLYg/s640/%25E3%2582%25BD%25E3%2583%2595%25E3%2582%25A1%25E3%2583%25BC%25E3%2581%25AB%25E5%25BA%25A7%25E3%2582%258B%25E3%2581%25AA.jpg)
つくづく、人(自分)は楽をしたいし、めんどくさい事をさける。
ほんとだらけてしまう。
なので部屋にこういう紙を貼った。目に入るテレビの隣。
ソファーに座ってしまえば、すぐに寝転がり、長時間離れられない。
いままでソファーがなかった時は机に向かって、休憩中だってPCの前に
座りながらテレビを見たり、寝たりしていた。
でもすぐに仕事に戻れる。
パソコンの前で座るか、横になって寝るか。そういう生活がピリッとしていて
良かった気がする。
今はダメだ。アメリカでテレビを見ない習慣をつけたときは
とてもよかった。仕事するか、筋トレするか、とても充実していた。
学ぶ姿勢が日に日に増してきたこんにち。決意した。
ソファーに座らない。机の前で勉強するか仕事するか、座っているのがしんどくなったら
運動する、眠かったら床で寝ろ。
風呂上がりはPCの前で水を飲め、帰宅後もPCの前で楽になれ、
自分の居場所はここしかないのだ。飯だってPCの前でいい。
テレビを見ながらでも仕事はできる、ソファーで見る必要はない。
単純だけれど、それが僕なりのケジメ。
5年先の自分がどうなっているか、頭の中で具体化されワクワクしてきている。
このモチベーションを崩さないように、いろいろなことにチャレンジしよう。
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